第13回八幡地区病院小児科合同カンファレンスのご案内

【第13回八幡地区病院小児科合同カンファレンス】

 

日 時  : 令和4年3月14日(月)19時~

場 所  : 産業医科大学2号館2208教室

演 者  : 地域医療機構 九州病院 小児科部長 高橋保彦 先生

テーマ : 新生児医療から小児在宅医療へ。ー北九州市での35年の経験からー

 

要 旨  : 医学部生となったある冬の日、鹿児島市で五つ子誕生のニュースが日本中を駆け巡った。そのころから新生児医療をやりたいと思い、卒後すぐに開院して間もない福岡こども病院の門をくぐった。当時の新生児医療は産科から小児科への移行期だった。すべてが手探りで個人の技量や熱意がそのままに治療成績に反映された。今にして思えば冷や汗を禁じ得ない。

縁あって昭和61年に小児科主導の新生児治療室を開設すべく、経験未熟なまま九州厚生年金病院に招かれた。一人スタートだったため、市立小倉病院吉田(雄)先生や国立小倉病院向野先生らに教えを請いつつ、自病院ならびに北九州地区全体の新生児救急搬送システムの充実に努めた。当初8病院にあった新生児治療室(現NICU)は、新生児医療の高度化に伴い小倉地区2病院、八幡地区2病院に集約できた。

その後平成20年代になり、全国で周産期救急の危機が連日マスコミをにぎわせた。これは産婦人科医不足と医療の高度化に伴う一般小児科医では担うことのできなくなった新生児医療の専門性、さらに長期人工呼吸器患児のNICUベッドの占有が主な要因であった。

北九州市は幸いに行政・医師会・勤務医の連携が極めてスムーズで、こうした課題に対しても様々な協議会をどこよりも早くに立ち上げ、危機的状況への有効な対策を講じていくことができた。このシステムは将来に渡って安定的に運営されて行くことは間違いない。

この数年あまり、小児科の話題は「小児在宅医療」に尽きるといってよい。

昭和62年に小児HOTを開始し、平成6年には小児在宅人工呼吸療法にチェレンジした。在宅人工呼吸は溺水やALTE、脳炎脳症などで救急搬送され、臨床的脳死状態での在宅が少なくない。脳死臓器移植提供施設でありながら、小児の脳死臓器提供には踏み切れないジレンマがある。

小児在宅人工呼吸は家族の負担も大きく、当初は心配が尽きなかったが数多くの訪問看護ステーションのきめ細かなサポートを得ながら、年ごとに症例が増えていった。またそれとともに、当事者としてできる「レスパイト入院」制度を拡充していった。

今では「医療的ケア児」や「レスパイト入院」といった用語が医療のみならず、福祉や教育現場で飛び交うようになったことが何よりうれしく思える。

医師になって41年、うち36年間を北九州で育ててもらい皆様には感謝に堪えません。

新生児医療に始まり小児救急集中医療そして小児在宅医療と、気がつけばこの40年あまり小児医療の奔流に掉さし流れ着いたようです。その一端をお話させていただければ幸いです。

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